3月11日に起きた東北関東大震災で被害に遭われた方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。スペインでもすぐに地震や津波のニュースが放送され、その衝撃的な映像や情報から知人や近所の人が心配して声をかけてくれています。また、福島第一原子力発電所の事故により、不安な状況が続いております。一秒でも早くこの事故が収束に向かうよう、マドリッドで祈るような気持ちでインターネットによる日本のテレビ同時放送を見守っております。
前回のコラムでフラメンコについて少し触れましたが、今回もその続きでフラメンコの歴史について書きたいと思います。
フラメンコを生み出したのはスペイン語でヒターノと呼ばれる人々だと前回のコラムで書きました。このヒターノたちは、北インドからアラブ地方を通って15世紀頃にヨーロッパに入ってきた民族です。日本語ではジプシーと呼ばれ、定住せず放浪しているという人々をさして使っていましたが、最近ではジプシーという言葉が差別用語にあたるとの見解からロマと呼ぶようになりました。もちろん日本にはこのロマがいないので、あまりよくロマのことを知りませんでしたが、私がマドリッドに住むようになってからマドリッド中心部でたびたびこの人たちを見かけ、スペイン人とは明らかに違う容貌に驚いたことを覚えています。
ウィキペディアの情報によれば現在ヨーロッパにいるロマは、ルーマニアに185万人、次いでブルガリアに75万人、そしてその次にスペインに72.5万人ということで、非常に多くのロマがスペインに住んでいることが分かります。私が中心部でよく見かけるロマは、あまりいい印象はありません。頭にはスカーフ、長いスカートをはいて、小さい子供をつれて物乞いをしている人を何回か見かけました。最近は、強制的に撤去されたりして少なくなったようですが、以前はマドリッドのあちこちに、廃材などを利用して作った掘立て小屋が集まっている地区がいくつかありました。テレビのニュースなどでそれが取材されるとそこにはロマらしき人が住んでいたのです。
現在でも差別的な扱いを受けているロマたちは、スペインに入ってきた当時も市民権を与えられなかった等差別されていたようですが、スペイン南部のアンダルシアでは拒否することなく受け入れたということです。当時アンダルシアでは、イスラム勢力からカトリック教徒が領土を取り戻したばかりで、その後もスペインに住み続けたイスラム教徒たちが受け継いでいた民族音楽とロマ民族の音楽が融合して今のフラメンコが生まれたのです。
前回のコラムで紹介したエンリケ・モレンテ。彼の娘、エストレージャ・モレンテもまたフラメンコ歌手として活躍しています。今日は、最後にエストレージャの歌を聞いてください。