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2011年03月 アーカイブ

2011年03月02日

フラメンコのことを少し

もう2011年2月が過ぎ去ってしまいました。はやいですね。。。先週は最高気温が20度前後まで上がる、ちょっと早く来てしまった春のような日が何日か続いていましたが、今週はまた北風が冷たい冬にもどっています。それでもその先週の暖かい気候で目覚めたのか、通りの木々の中には、若い芽を出したり花を咲かせたりするものもあり、寒い中にも春が近づいているのを感じる今日この頃です。

去年の12月13日、一人の有名なフラメンコ歌手(カンタル、オにアクセント)、エンリケ・モレンテが亡くなりました。67歳でした。食道がんの手術のあと脳梗塞を発病し、意識不明におちいり、そのまま亡くなってしまったそうです。がんが発見されたのがいつなのかは不明ですが、亡くなった日を含めコンサートツアーが予定されており、またCDも作成途中だったようです。多くのファンがまた本人もこんなに早くこの世から去るとは思っていなかったのです。

まずは、You Tubeで彼のすばらしい歌声をお聞きください。
http://www.youtube.com/watch?v=Sor2QXkKEu4
魂を揺さぶられるような力強い声ですね。

日本で「フラメンコ」と聞くと、スペイン伝統の踊りのことのみを指すと思われている方が多いと思いますが、アンダルシア地方に住み着いたスペイン語でヒターノ(ジプシー)と呼ばれる人々によって作られた歌、リズム、踊り全てをフラメンコと呼びます。そしてこのフラメンコが、2010年11月にユネスコの無形文化遺産に指定されました。

今日、紹介したエンリケ・モレンテはグラナダのアルバイシンの出身です。イスラム時代の街並みが残るアルバイシン地区は、アルハンブラ宮殿・ヘネラリフェ庭園とともに1984年に世界遺産に登録されました。現在スペインには、無形文化遺産も含め、51の世界遺産がありますが、このグラナダのアルハンブラ宮殿とアルバイシン地区はスペインで一番最初に登録された5箇所のうちの一つです。

albaicin.jpg
    アルハンブラ宮殿アルカサバから見たアルバイシン地区

私がアルバイシン地区を初めて訪れたのは、1988年の新婚旅行の時でした(なつかしい!)。学生の時に行ったことのある夫に連れられ、アルバイシン地区に足を踏み入れたとたん、白い家々と細い路地、そして所々で感じられるおしっこの臭いなど日本では全くないような街並みに感激と驚きを感じたことを今でもはっきり覚えています。そして、サン・ニコラス広場からのアルハンブラ宮殿の眺めには、この上ない感動を味わいました。

alhambra.jpg
    アルハンブラ宮殿内のタイル

細い路地が入り組んでいるので、治安のことが少し心配ですが、グラナダを訪れたら、是非是非アルバイシン地区にも足を運んでいただきたいと思います。そして、フラメンコについては、歴史やいろいろな種類についてなど、これからも紹介していきたいと考えていますので、どうぞお楽しみに!

2011年03月17日

続・フラメンコのことを少し

3月11日に起きた東北関東大震災で被害に遭われた方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。スペインでもすぐに地震や津波のニュースが放送され、その衝撃的な映像や情報から知人や近所の人が心配して声をかけてくれています。また、福島第一原子力発電所の事故により、不安な状況が続いております。一秒でも早くこの事故が収束に向かうよう、マドリッドで祈るような気持ちでインターネットによる日本のテレビ同時放送を見守っております。


前回のコラムでフラメンコについて少し触れましたが、今回もその続きでフラメンコの歴史について書きたいと思います。

フラメンコを生み出したのはスペイン語でヒターノと呼ばれる人々だと前回のコラムで書きました。このヒターノたちは、北インドからアラブ地方を通って15世紀頃にヨーロッパに入ってきた民族です。日本語ではジプシーと呼ばれ、定住せず放浪しているという人々をさして使っていましたが、最近ではジプシーという言葉が差別用語にあたるとの見解からロマと呼ぶようになりました。もちろん日本にはこのロマがいないので、あまりよくロマのことを知りませんでしたが、私がマドリッドに住むようになってからマドリッド中心部でたびたびこの人たちを見かけ、スペイン人とは明らかに違う容貌に驚いたことを覚えています。

ウィキペディアの情報によれば現在ヨーロッパにいるロマは、ルーマニアに185万人、次いでブルガリアに75万人、そしてその次にスペインに72.5万人ということで、非常に多くのロマがスペインに住んでいることが分かります。私が中心部でよく見かけるロマは、あまりいい印象はありません。頭にはスカーフ、長いスカートをはいて、小さい子供をつれて物乞いをしている人を何回か見かけました。最近は、強制的に撤去されたりして少なくなったようですが、以前はマドリッドのあちこちに、廃材などを利用して作った掘立て小屋が集まっている地区がいくつかありました。テレビのニュースなどでそれが取材されるとそこにはロマらしき人が住んでいたのです。

現在でも差別的な扱いを受けているロマたちは、スペインに入ってきた当時も市民権を与えられなかった等差別されていたようですが、スペイン南部のアンダルシアでは拒否することなく受け入れたということです。当時アンダルシアでは、イスラム勢力からカトリック教徒が領土を取り戻したばかりで、その後もスペインに住み続けたイスラム教徒たちが受け継いでいた民族音楽とロマ民族の音楽が融合して今のフラメンコが生まれたのです。

前回のコラムで紹介したエンリケ・モレンテ。彼の娘、エストレージャ・モレンテもまたフラメンコ歌手として活躍しています。今日は、最後にエストレージャの歌を聞いてください。

http://www.youtube.com/watch?v=Q5O3duvlEeY&feature=related

2011年03月31日

続々・フラメンコのことを少し

東日本大震災から約3週間が経とうとしています。残念ながら福島原子力発電所の事故は未だ収束の目処が立たず、ここスペインでも毎日トップニュースの一つとしてその状況を報道しております。一日も早く解決に向かってほしいと願う毎日です。

もうすぐ4月。本来ならお花見で盛り上がっている日本でしょうが、今年はそれどころではない方も多いでしょうね。それでも、季節は確実に春に近づいてきています。こちらも暖かくなったり、また冬にもどったりしていましたが、ようやく今日あたりから本格的な春の訪れを感じられる陽気になってきました。うちのマンションのベランダにある小さな花壇の植えっぱなしのチューリップも咲きました!被災地にも早く春が訪れるといいですね。

今回もフラメンコの話を続けたいと思います。

前々回と前回のコラムで、エンリケ・モレンテとエストレージャ・モレンテの二人のカンテ(歌)を聞いていただきましたが、同じフラメンコでも曲調がかなり違うのにお気づきだと思います。フラメンコと言っても種類がたくさんあるのです。その種類をパロと呼び、曲のリズム、歌詞の内容、その曲が生まれた土地によって分けられており、その数は50くらいもあるようです。

紹介したエンリケ・モレンテの歌はソレア(Soleá)のひとつで、暗めの曲調で歌詞のテーマは孤独や落胆などです。深みと威厳があります。一方、エストレージャの方はアレグリア(Alegría)に分類されるもので、軽快でテンポの速い音楽で、歌詞のテーマは、パロの名前と同じアレグリア(喜び)です。

その他の主要なパロにはブレリア(Bulería)があります。これはソレアから派生したもので、早いリズムが特徴でカンテも激しく、最もフラメンコらしい(というのは、私が今までにフラメンコとイメージしていたものがこれだから)ですね。有名なフラメンコギタリスト、トマティートの演奏をお聞きください。
http://www.youtube.com/watch?v=2BCoZiSbGtY
素晴らしいギターと軽快な手拍子がアンダルシアの地をイメージさせます。

もう一つ紹介するのは、タンゴ(Tango)です。タンゴと言えばアルゼンチン・タンゴが有名ですが、全く関係はありません。タンゴも軽快なリズムですが、ブレリアほど早くないですね。ブレリアと同様、宴の締めに歌われたり踊られたりするそうです。タンゴはバイレ(踊り)をみてください。セビージャ生まれのダンサー、スサナ・カサスです。
http://www.youtube.com/watch?v=HLrHcEBk3IY

フラメンコは踊りだけではない、そしてさまざまな種類があるということをお分かりいただけましたでしょうか?コラムを書くにあたって、私もいろいろフラメンコの世界を知ることができ、アンダルシアの本場で直接フラメンコを感じたくなってきました!皆さんも、同じではないですか?

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